母の死

検査をするも、痛みの原因は分からず、数日もするとケロッとして、

病院のリハビリも少しづつこなすようになってきたし、

文句を言いながらも食欲もある様子。

なんともないのだから、退院するとごね始める。

どうしたものか?と言っていたら、病院のほうから、

違う病棟内の介護施設のほうに移動されませんか?と打診があった。

その当時の母の介護認定では特養には入れないし、

かといって家で介護するの難しい、入院する少し前くらいから、

入浴やおしめの事では妹もお手上げという感じだった。

何度か私が帰省しょうか?と言った事もあるけど、

それで解決するような問題でもなく、

入院した段階で、かわいそうだけど、

このままどこか探そうという事で、

私が調べものをして、

母の状態を説明できる妹が問い合わせたり説明を聞いてくれて、

二人で検討したり相談するという感じになっていた。

そんな時の打診だったので、二人ともほっとした。

そこで半年ほどお世話になっている間に、施設の方で認定の再申請をしてくれて、

介護認定3になった。その時点で、そこの施設では預かれないという事で、

本格的に施設を探す事になった。心配はあったもののプランナーの方がついてくれたことで、

妹が通いやすい施設2か所にすんなり申し込む事ができた。

片方の施設に空きができ、移動したのが昨年の9月くらい?このあたりの記憶はあいまい。

母が施設に移った時点で、面会をと希望していたけど、

いまだにコロナは猛威を振るっていて、面会できない時期がずっと続いていた。

合間を縫って面会できる妹と違って、遠くにいる私はなかなか面会のタイミングがない。

そうしていたら11月になって、母の顔色がよくなく、食欲も落ちていると連絡があり、母が再び最初の病院に入院したと連絡があった。

胆管結石という診断で、石をとれば問題ないという事で、ひと安心していたら、

術後、発熱、原因がわかるまでに時間がかかり、熱が下がるまでイライラとした日を過ごす。

やっと退院して、施設に戻ったのでホッとしたのもつかの間、

今度は食事をしないというので、施設のお医者さんや看護師さんが

賢明に食べさせようとしているという連絡。

そして、点滴に切り替えたという連絡が来たのは12月も末近く、バタバタし始めたころ。

この頃には覚悟はしてたけど、問題はうちが半端なく忙しくなる時期という事。

業界がわからない人にはブラックと言われがちな旦那さんの職場、

年末から2月の節分が終わるころまでは、休みなし、家にもなかなか帰ってこない。

必然的に私もフォローに入るので、この時期は着替えや食事、用事を頼まれたりして旦那さんの職場と家をふらふらしながら往復したりする。

この時期はみんな過敏になっているころ、旦那さんにはお葬式は無理ならいいよと言っていた。

1月5日、私が職場にいく仕事はここでひと段落、ここから新幹線の予約を取ったり、

荷物を配送してもらって、新幹線に乗ったのが6日。

午後一に大阪について、午後からの面会に間に合った。

施設のほうは、コロナで、閉鎖されていたけど、時間があまりないという事で、

面会許可が出た。母のいる階につくと、ビニールキャップ、手袋、防護服等々の着用を指示される。次の日も面会に行き、1日だけどずいぶんとやつれたと思っていると、午後10時ごろにもうそろそろだと思うので、お別れをされるのでしたら、と施設から連絡がくる。

日をまたいで、午前3時に息を引き取った。








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